8月21日 日本サッカー協会より発表があり、現在フクダ電子スクエアのサッカースクールでスクールマスターを務めていただいている永井良和氏が、奥寺康彦氏とともに日本サッカー殿堂入りを果たされました。
心よりお祝い申し上げます。
アスリートとしてまた指導者としての長きにわたる研鑽とご努力に対してあらためて頭がさがる思いです。
今後ともスポーツ振興と平成の「赤き血のイレブン」育成にお元気でご活躍ください。
平成24年8月22日
フクダ電子アリーナ
場長 板垣 綾一
1952年4月16日、埼玉県生まれ 相手ゴールに向かうスピードと得点力で市立浦和南高校をインターハイ、国体、全国高校選手権優勝の「三冠」に導き、人気テレビアニメ「赤き血のイレブン」のモデルとなる。 高校時代にユース代表に選ばれ、1972年まで3回のアジアユース大会に出場。 1971年、高校卒業とともに古河電工に加入、同年日本代表に選出され、ミュンヘンオリンピック予選の韓国戦でゴールを決めるなど19歳で攻撃陣に欠くことのできない存在となった。 169センチと小柄ながら、スピードに乗ったドリブル突破とミドルシュートなどゴール感覚に優れたプレーはアジア各国のディフェンダーたちに恐れられた。FIFAワールドカップ予選や、オリンピック予選、アジア競技大会等で活躍し、日本代表として、166(国際Aマッチ69)試合に出場、19(国際Aマッチ9)得点を挙げた(1971~1980)。 1976年度、古河電工でJSL1部初優勝と、天皇杯全日本選手権優勝の二冠達成。 そしてその年の年間最優秀選手賞を受賞。また1986年のアジアクラブ選手権優勝に貢献。 日本サッカーリーグ(JSL/古河電工)では1988年までプレーを続け、常にチームの先頭に立って戦いつつ、歴代1位の出場272試合、63得点(歴代9位)、77アシスト(歴代2位)という大記録を残した。 アシスト王3回受賞、JSL年間優秀11人賞5回受賞。 現役引退後は、日本ユース(U-18)代表監督を経て、東日本古河サッカークラブ(ジェフユナイテッド市原)(1992~93)、福島FC(1996)、アルビレックス新潟(1998~2000)、横浜FC(2001)、浦和レッドダイヤモンズ・レディース(2006~07)の監督を務めた。 2008年4月より、千葉市フクダ電子スクエア、サッカースクールのスクールマスターとして子供たちを指導。現在に至る。 |